「金属の目利き」として育ち、挫折を知って「経営」を学んだ。
横浜アルコ代表・魚地浩司のあゆみ
「将来は親父の跡を継ぐ」と決めていた少年時代
私の履歴書の始まりは、横浜の街に積み上げられた金属の山にあります。
戦後に祖父たちが始めた資源回収の仕事。
そして、旭区で非鉄金属商を切り盛りしていた父の背中。
それらを見て育った私にとって、「将来は自分も父の跡を継ぐんだ」と考えるのは、ごく自然なことでした。

大学卒業後、武者修行の場に選んだのは金属専門の商社でした。
実家で培った「金属の知識」が功を奏したのか、配属先の営業部門ではずいぶん可愛がっていただいたものです。
私には継ぐ予定の家業があるのを知っていながら、
当時の社長から「婿に来ないか」とも取れるようなお言葉をいただいた時は、全身から汗が吹き出し出ました。
サラリーマンの5年間で気づいたこと
5年のサラリーマン経験を経て、1995年に満を持して横浜アルコへ入社。
その前年には仕事を通じて出会った妻と結婚していました。
「これからは自分一人の人生じゃない。この会社と家族を、一生かけて背負っていくんだ」
口には出しませんでしたが、当時の私の胸の内には、これまでとは違う静かな覚悟が宿っていました。
とはいえ、組織で働くことの難しさや楽しさを知る中で、
「自分は誰かの指示で動くよりも、自分の責任と裁量で働く方が向いているかもしれない」
ということも感じていた私。
良く言えば自立心が強い、今思えば……少しばかり生意気な後継ぎだったのかもしれません。
絶頂からどん底へ。痛いほど学んだ「経営の本質」
2002年に社長職を継ぎ、2007年には北京オリンピック景気の波に乗って売上14億円を記録しました。
当時は「自分の采配で会社がどんどん大きくなる」と高揚感に包まれていました。
しかし、その鼻をへし折ったのが2008年のリーマンショックです。
相場は急落し、残ったのは莫大な赤字と、出口の見えない低迷期。
自分の裁量で進めてきたはずの経営が、一気に牙を剥いた瞬間でした。
「自分の力を過信していた」と痛感し、そこから十数年、私は地道に「本当の経営」とは何かを問い続けました。
数字の「規模」より、仕事の「中身」を誇りたい
苦しい時期を経て、2021年に大きな決断をしました。
それは、かつて追い求めた「売上の数字」を捨てること。
代わりに、徹底して「利益率」と「仕事の質」にこだわる方針へと舵を切りました。
その結果、売上規模は全盛期より抑えつつも、過去最高益を達成することができたのです。
遠回りしましたが、ようやく先代たちが大切にしてきた「堅実な商い」の真髄に触れられた気がしています。

これからの展望:街を支える「リサイクルのプロ集団」へ
現在、私たちは町田市の資源選別事業など、より公共性の高い分野へと挑戦の場を広げています。
相場に一喜一憂する商売だけでなく、地域の環境インフラを支える誇り高い仕事へ。
長年私たちを信頼して仕事を任せてくださるお取引先様。共に横浜のリサイクル業を盛り上げてきたリサイクル組合の仲間。そして苦しい時期も一丸となってついて来てくれた社員たち。これらの方々には感謝しかありません。
「自分の舵取り」で始めたこの第二の創業期を、社員一同と一緒に楽しみながら進んでいきたいと思っています。
横浜アルコは、これからも横浜の街に、なくてはならない「宝探し(資源回収)のプロ」であり続けます。

横浜アルコ株式会社 代表取締役
魚地浩司
